もこちゃん不在のままスタートします。


こんばんは、eRiKa です。


毎日が目まぐるしく過ぎていくのでなかなかブログに書き記している時間がなく、
次から次へとイベントが…。


手帳に殴り書きをしてはいるのですが、
読み返した時文字通り『殴り書き』なのでちょっと解読出来ないものもチラホラ。笑


自分で書いているはずなのにね(;´-`)



今日は11/11。


もこちゃんの5歳の誕生日から3日が過ぎた今日、
ポッキーの日だか何だかと言われている日ですね。


昨夜いつか聞いた曖昧な言葉、

『1はスタートの意味を持つ数字』

というのを思いだし。


節目として、
もこちゃん捜索の固定ツイートとTwitter&ブログのプロフィールからメインに据えてたもこちゃんの内容を変更しようと思います。


これを書いている、21:00現在はまだ変更してません。


この記事で思いを文字に起こしてからと考えております。


…本当はもこちゃんの誕生日に(新月だったし!)やりたいなと思ってたのに、何となく腰が重くて今に至ります( ´-`)笑



で、本題。



もこちゃんを迷子にしてしまった後、Twitterで知ったアニマルコミュニケーターのjunさん(Twitter→@gstmAjun、ブログ→https://ameblo.jp/teamhysteric/)
に遠隔で彼とお話してもらいながら今日に至ります。


遠隔で?
しかも動物と話せるの??


このブログをご覧の方の中にもそんな風に思う方がいらっしゃるかもしれません。しかし当時の私は(今もですが。笑)微塵の疑いももっていませんでした。


迷子にした当初は、藁にもすがる思いでしたので形振り構っていられなかったのが大きかったかなと思います。


どんな方法であれ、もこちゃんが無事に生きていることが確認できれば。


周りから何て思われようと気にしない。
そんな状態だったからこそ、いつもよりも大胆に色んな行動がとれました。
本当に、いつもの私からは想像できないくらい。笑


もこちゃんは、迷子にしてすぐの頃には終始私に対して、

「僕は大丈夫だよ。元気だよ。心配しないで」

ずーーーーーっと気遣ってくれてました。


勿論junさんには今もこが何処にいるのかやどんな人に保護されているか等、
『捜し出すこと』と『再会すること』、
また場合によっては『取り返すこと』をメインとした質問をたくさんしました。


最初はもこちゃんが生きてさえいればそれで良かったはずなのに。


でも保護されていることが分かれば、そこから沸々と沸き上がってくる、

「なんで届け出てくれないの?(なんで返してくれないの?)」


悶々悶々。



・・・・・・・・・・・・。



↑で書いた以外にも、迷子にしてからは、複雑な(汚かったりグチャグチャだったりが多め。笑)感情、今まで隅っこに追いやってた醜い自分が一挙に押し寄せてきた感じでした。


もこちゃん捜索の為に自分でチラシを作り手当たり次第声をかけ、
お店や学校、保育園や幼稚園…人の目につきそうな所にはダメ元で掲示をお願いしました。ネットで拡散、迷子掲示板に書き込んで、警察や愛護センターにも届け出して。
警察なんて、千葉は勿論のこと埼玉東京茨城栃木群馬。。。
飛びそうな所全部に連絡して、何日も連続で電話をかけ続けたりしました。

また業者にチラシを数1000部印刷してもらって折り込みで入れたり。

私の中でやれることは全てやったと思いますが、あの時が一番ツラかったです(;´д`)


他にやったことは、junさんにインナーチャイルドの存在を教えてもらったり、
自分が当たり前だと思っていた物事を今一度改めて考えてみるチャンスを頂き、
もこちゃんには見たくなくて隠していた自分の中の存在をストレートに伝えられながら、自分の中身を恐る恐る見たり…。笑


実際の捜索をやりきってしまってからは手持ち無沙汰な焦りもあって、
これから先の私にはもう必要のない価値観や感情をどんどんどんどん手離す作業をし続けていた気がします。




本当はどんな風に手放したとかまだ残っているあれやこれやのこととか、書きたいエピソードは山程あるんですが、いちいちキリがないので一番言いたいことだけを書きますね。笑



junさんとの何度目かのセッションの時、もこちゃんは私に言いました。



「eRiちゃんは絵を描きなよ。本当は描きたいんでしょ?」




もうこの一言だけでブルッちゃって!!!笑



もうね。
小2の時に友達に言われた、
「私だったらこんな絵描かなーい(私の絵を見ながら)」とか。

特に母親に言われ続けた「絵心がないねー」とか。



「だってママが良いと思う絵じゃないとダメなんでしょ?
私には良いと思ってもらえる絵が想像できないんだよ」


もしかしたら幼い頃の私にとって唯一、絵だけは私の思うままにしか描けなかったのかもしれません。
嘘がつけなかった、の方がしっくりくるかな?


誰かが(特に母親)上手とか良いと思う絵を描かなければ(この場合絵だけに限らず、礼儀や勉強、ありとあらゆる生活の中の行動)ダメ。


こんな恐怖と不安が常にあるこどもだったんですよね。



ずーーーーーっと、怖かった。


自分を表現すること。
自分の本質をさらけ出すこと。


そんな恐怖がきっと、
『絵を描くこと』に凝縮されてギュギュっとされて、
最終的に見たくないのでポイっとして…。



それからは、模倣となる『優等生』や『人気者』をめっちゃ観察して、
正解の選択肢を探りつつ立ち居振舞いをコピーしていた可愛いげのない小学生だった気がします。

で、念願叶った小4の演劇。

私はこれだけ優等生や人気者を完コピしてたのにも関わらず、演劇でめちゃくちゃオリジナリティー溢れるクレイジーな演技をしてしまい…(私はそれが最善だと思ってしまったんです。笑)

そしたら、みんなが本当に楽しそうに笑ってくれて。


「おもしろいね!」「すごい演技力だった!!!」


素が出たのにも関わらず、私は思いがけず『人気者』になってしまいました。


でもまだ、怖くて。


ずっと溜めてた恐怖や不安は解消されないまま、笑顔の影に成を潜めて。


人前で歌うことや喋ることは問題なくできます。
コミュニケーション能力を毎回誉められます。

でも、何処かで酸欠状態。スタミナ不足。

もう要らないって人間関係をブッタ切る。


そんなことをずっと続けてはや幾年。



そして、ここにきてもこちゃんから言われた『絵を描くこと』。




ポイって。


くしゃくしゃに丸めたんだよあの絵は。


捨てたんだよ。


もう要らないんだよ。


誰からも必要とされてないんだよ。


私が好きな色は誰かの嫌いな色なんだよ。


私が好きなあの柄は誰かの嫌いな柄なんだよ。


なら一層ってね。
どの角度から見ても誰からも嫌われないように自分を圧しころして生きてきたのに。


大好きなもこちゃんが私のくしゃくしゃな絵を拾って「はい」って手渡してきました。



そしてそれからはセッションの後毎回のように、
「僕はどんなeRiちゃんでも大好きだよ」って言ってくれるようになって。



あ!
誤解がないように…というか、旦那の名誉のためにも言っておきますと。笑
実は彼も付き合っている学生の頃から私に絵を描くことや何かを表現することをいつも勧めてくれていました。


でも人間同士だと上手く伝わらなかったり、訊くことが出来なかったり云々。笑

ごめんよ…旦那氏!!笑



こんなことがあって、恐れおののきながらも勇気を出して絵を描き始めた一年ちょい前。


克服のためにもTwitterにうpしたりしながら描き続けて、最近では恐怖はなくなりこんなにも絵を描くことは楽しかったのか!!と嬉し泣きする程に成長しました。


今回初めて鳥のイラストで冬コミに参加することが決定し、自分の未来が絵を描く方向へとどんどん進んで行っていて。


もこちゃんとの再会はこれから先、何年経っても…
彼が生きているであろう間はずっと望み続けるつもりです。


本当に会いたい。


でも、同時に私はもこちゃんはもちろん今の巡りあったご縁を大切にしながら前に踏み出したい。


だから固定ツイートもプロフィールも、絵を描く私へと変更します。


こんなに気持ちが楽で、
こんなに心が軽くて穏やかで、
好きなものを好きと素直に言える日がくるなんて。




もこちゃん。


そして今まで巡りあったすべての方に。



ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございます。



これからの未来は全くの未知数で、何が起こるか検討もつかない。
ワクワクドキドキ。。。




でも、願わくば。




何処かの曲がり角でもこちゃんにばったり会って、
また一緒に生活できたら良いな。





そんなことを思っています。






※11月11日…日付が変わる頃に諸々変更します。